まっしろな嘘

ニンゲンを勉強中のヤヤネヒによる、なんかいろいろ。

障害年金の申請の話(1) ~周辺事情と前書き~

えーと、今回はヤヤネヒのアバターがお送りします。

先に結果から

申請内容は双極性障害(気分障害)と広汎性発達障害

20歳前傷病、現症分が2級で降りました。

昨年3月から障害年金の手続きをやっていたのですが、延々と差し戻しを受け続け、実に5枚分の診断書を用意した結果であります。*1

失敗例もケーススタディも意味はあると思うのですが、逐次報告のブログを幾つか拝見していて、駄目だったケースをリアルタイムで読むのはけっこうしんどくて、まぁ、うん……ので、一段落するまで、あまり表には出せないかなと。紆余曲折が一段落(あくまで一段落)したので、情報を残しておく意味で、自分の申請時のこととか、何記事かに分けて、書いていこうと思います。

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現在の状態

外向きには「ちょっとボンヤリしてるけど一見普通、いきなり倒れて使い物にならなくなる」タイプの難病患者に近い属性です。ASDとしては、知能は通常ちょい高め、突き抜けた言語優位タイプなので、特に文章を書くとか、専門分野の会話だと比較的弁が立ちますが、日常生活だといきなりポンコツになります。

小学生の頃は「いきなり寝る」っていうのがあったんですが、双極に転移?するにつれて、強烈な眠気に襲われることは減りました。その代わり不眠がだんだんひどくなっていった。最近は無理を避けているのであまりないですが、キャパシティがイった状態でその場を離れて休む手段がないと、パニックからの棒立ちになります*2

一緒に生活・就業等した経験のある人の評価は軒並み、「支援者なしでの生活は無理」「独居は不安だから今すぐやめろ」というもので、家人いわく、『痴呆が進み始めた当初の祖母を思い出して怖い』。……余談ですが、うちの母方の祖母も若干痴呆が進んでいるんですけど、昨年挨拶に行ったとき、彼女が「できなくなったこと」として挙げていたのが、全部「私にはもともとできなかったこと」として挙げていたのがたいへん印象的でした。つらい。

あと冬場とかずっと風邪引いてる。薬物への強い過敏性と、軽度の感染症。何年か見てない間に、自閉症スペクトラム障害 - Wikipediaに「軽度の感染症と消化管障害」が加わっててびっくりしました。いや実際そうなんだけれども。

何となく察せられると思うのですが、ブログの更新頻度と制作のペースが以前より上がったのは、一般就労を諦めたのと、生活・制作共に家人のサポートが入るようになったお陰です。感謝に堪えない。未だ、収益・時間・速度共に実務レベルには全く足りてないけど…

障害の状態とか

障害年金の申請の際は、専用の診断書が必要で、診断医の所見以外に、 症状項目と、日常生活4段階評価、総合5段階評価の書式になります。私の場合は以下の通り。

日常生活水準で6項目がd(不可)、通院のみb(可)で、総合(4)。 現症分は、二枚のうち一枚が日常生活が全てc(援助があれば可)、総合(4)です。 所謂5ch表記だと遡及分が1c6d-(5)、現症分が7c0d-(4)。

病歴について

受診にあたっての病歴等申し立て書の叩き台はこんな感じ(後から、提出版を黒塗りで出すかもです)。

発話は早かったが、幼少時より集団行動に馴染めない傾向が強く、小学校低学年時は、着席できず、気持ちが高ぶって授業中に立ち上がる、泣き出して教室を飛び出すなどの行動があった。動けなくなるほどの偏頭痛、妄想的な恐怖心、日中に意識が途切れる、異様に疲れやすいなどの症状が起こるようになる。中学年頃から、パニックを起こしたあと、しばらく意識を失うようになり、暴れる前に授業を抜け出すことを覚える。自分は生きていてはいけない、死ぬべきだと考え始める。

【中学生】 ■■■■内科/ ■■■■医師(当時内科、現在、心療内科あり) 集団行動は困難だったが、パニックの頻度は減り、学業成績には問題がなかったが、突発的に家を飛び出して放浪することがあった。小学校からの持ち上がりだったため、配慮は得られていたが、希死念慮が続き、頭痛や微熱、疲労感などの症状を訴え、生理が止まる。掛かりつけの医師に相談。漢方薬を処方され、■■病院の精神科を紹介されるが、両親の反対により、受診に至らなかった。


【高校生】 ■■■■内科(継続) 続く心身症状に続けて希死念慮が酷くなり、思考も曖昧になり、試験時の白紙での提出、カッターナイフ等による自殺未遂を繰り返す。非行を疑われるがそのような意思はなく、精神科への通院を申し出るも繰り返し反対されて叶わず。街を徘徊し、空き教室など人のいない場所で虚脱する毎日を過ごす。過食嘔吐を繰り返すようになる。


【大学生】 ■■病院 ■■■■ 医師 入学して一人暮らしを開始後、京都・■■医院の精神科を受診。重度のうつとの診断を受け、当時の医師からは「よく生きていましたね…」との所感を告げられる。抗うつ剤を服用するが、軽い躁状態と鬱を反復していた。


【20歳~25歳頃】 ■■病院  ■■ ■■医師 (継続) ■■病院 ■■■■ 医師(鹿児島にて、■■■■内科 ■■■■先生からの紹介) ■■■■医療福祉センター ■■■■ 医師


同時期、大学に適応できない状態が続いていたが、このままでは生きていけないと感じ、喫茶店でのアルバイト等を始めるが、指示を聞き取れないなどの問題で応対が困難だった。詳細なメモを作るなど工夫して辛うじて対応したが、非常に疲れやすく、週2日の勤務が限界であった。


コミュニケーションや器質上の問題を感じ、 ■■■■病院の発達外来に相談、 ■■■■にてアスペルガー症候群の診断を受ける。また、両親の希望で、二次障害について、掛かりつけ医からの紹介があった■■病院を受診。パキシルは二年ほど服用したが、眠れない、衝動的に動き続けるなどの傾向があり、また、飲み忘れ時の断薬症状と躁転があったため、服薬中止。 対人緊張、生活の破綻などから週1~2日の登校も難しかったが、大学にて発達障害の診断を伝えたことで、登校せずともレポート中心で単位を取得できる形で配慮を得る。■■医院にて、マイスリーデパスの処方を受けるが、デパスに関しては幻覚・依存の症状が起きたため服用停止。また、実家で、漢方薬の服用について継続的に相談に行っていた伊敷病院で、心理外傷性ストレス反応の症状を指摘される(その後も軽減せず)。大学中退。


不安時のデパスの頓服で対応していたが、就業中に泣き出すなどを繰り返し、全身の痛み・不安や緊張が強くなり、数回の無断欠勤の後、退職。その後、大学に求人を出していた音楽制作会社に週1~2回にインターン採用されるが、上司の要求に応えきれず、高熱を出して欠勤、一週間ほど寝込んで退職。


【25歳~】 ■■病院 ■■■■ 医師 (継続) ■■病院 ■■■■ 医師 母との関係から実家での療養が難しく、アルバイトと個人での音楽・デザイン製作で生計を立てようとする。しかし実際には困難で、月0~3万円程度の収入が限度であった。それでも家賃光熱費等滞納が続いたため、退去。まったく家事ができず、家賃滞納に加えて退去時に部屋が荒れきっており、特殊清掃業者を依頼したとの理由で訴訟されるなどが起きる。同時期に生活困難と衝動的な散財から、消費者金融を利用し、返済が困難になる。


知人の申し出で上京し、部屋を間借りして3年ほど生活。一週間のほとんどは眠っており、ほぼ生活の面倒を見てもらっている状態だった。金欠のため、しばらく病院等には掛かれず。当時の同居人の引越しを期に、家賃3万円弱の川崎市のアパートで一人暮らしを始める。一般就労を試みるが、勤務中硬直する、ミスが増える、泣き出すなどで継続できなくなる。生活に対する意欲を失いがちで、家賃の滞納、電気ガスは止まり、本人の衛生・居住環境が共に著しく悪化、といった状態が続いていた。


インターネットで知り合った男性からストーカー被害を受け、警察に相談する必要があったため、精神科に再通院(被害が認められて停止勧告へ)。発達障害と継続する心身症状について相談するが、改めて専門科に通院するようにとのアドバイスを受ける。転院先がみつからなかった頃、生活状況を見兼ねた学生時代の友人(今の夫)に、旧居から引き取られる形で同居を提案される。


【現在】 ■■病院 ■■■■医師 現配偶者と結婚。住居が再び安定し、月数日の外出等はできるようになったが、一日のほとんどを伏せって過ごしている。就業を試みては従来の諸症状(死にたい気持ち、パニックを起こしての動悸・脱力・解離感、治らない風邪様の症状や熱発感、疲労・倦怠感、過食嘔吐・食欲低下の繰り返し、体の痛み、嘔吐感)を再発したため、現在は家族の助けもあり、自宅療養中。

独身中の生活水準は、月収入が5~8万程度、実家からの借金も嵩んでおり、生活保護受給ラインを下回っておりました。 所謂、生活保護受給水準の8割に上るという『取りこぼされ組』です。希死念慮はおともだち。お役所仕事して。

診断を受けた発達外来は通院で相談を受けるには大学から遠すぎる(実家に帰ると過食嘔吐と鬱が悪化するので帰省できる状態じゃなかった)、病院に行けない、生活が安定しないのもあって遂行機能障害重篤化していて、公的支援を受けようにもコンタクトを取れない。かなりやばい……「とにかく『普通に』ならねば」、食えるようにならねばと思ってたんですけど。どうやって生きてたのかよくわからない。

創作方面の伝手で色々助けてくれる人がいたから生きてこれたわけなのですが、家人曰く「お前のヒモ力と生存力は異様だし羨ましい」だそうな。ルックスが良いわけでもないので、強いて言えば作家性に投資して貰ってたんだと思うのですが、一本で生きるには営業力もバイタリティも売上も全く足りず、個人製作続けてきたのは根性と周囲の支援です。よくがんばった。

普通の人は起き上がれないDAY/Weeks(及び月間)が定期的に訪れたりしないから。賃貸からの退去時に特殊清掃業者呼ばれないから。

助けてもらった方々には未だに足を向けて眠れぬのですが、正常性バイアスって怖いなと今は思います。

『障害者として生きるべきか?』

ずっと考えてたんですよね。 障害者手帳の取得、というのは何度か考えて、その度に、専門医に掛かる難しさと、変な意地みたいなのがあって、いやいらない、きっとやれるはずだって考えて。

普通になるためにがんばった。がんばれば普通になれる。すぐ迷子になるけど、現場に行きつければ、勤務時間中、その場をしのぐことはできる。終わったら、三日眠れない日が続いて、一週間動けなくなるけど、工夫したり考えたりして、できるようにはなってる。だから、もっと頑張ればなんとかなるはず、と思っていた。自分は大丈夫、となんども思おうとした。

なってないから。

今思ったら一歩踏み違えたら死ぬ、希死念慮はお友達だし遂行機能障害で何をポカるかわからない、リカバリはきかないで体もどんどん削れていく、みたいな生活の中で、ずっと考えていた。幸か不幸か、週に1日2日しか入れない接客のバイトも、「できるようになる」ためにとにかく頑張って、実際頭は多少回るので、感音性難聴も仕事のルーティンも、自力で必死で方法論を作っていけばできるようになってたんですよ。でもとにかく人よりももたない。無理をして重いプログラムを走らせているのもあるし、双極でいろいろおかしくなっていたし。そして何よりも、私たちの世代、レールアウトしたら『どうにかする手段』がないってわかってなかった。

多くの一般就労が、長時間労働就業規則でガチガチ、しかも低賃金という現状、できること・できないことにムラがあり、体調を崩しやすい、特性が重めの発達障害者は雇用に入れない。年金なしの障害者雇用は、仕事量と賃金を考えたら現実でない。それじゃあ、と、「非正規で働きながら貯金を作る」なんて、バブル直後ならいざ知らず、今は一般就労可能水準の人でも不可能に近いわけです。賃金が全然違う。そして、私は動ける時間で制作をずっとやってきたわけですが、「ギョーカイ」に入るなら25歳まで。仕事の買い叩きが進む中で徒手空拳で入っていくのは超人の所業である。*3

もう、ここで割り切るしかないと思った。

将来の展望を含めて、ここで戦うしかないと思った

数年割り切って療養して貯金を作って、もしかしたら、自営+少しの業務委託で回して普通に納税できるまでは持っていきたい。療養中に家人に迷惑を掛けない程度のお金は絶対に必要。 もっと早く支援を受けていれば、二次障害を反復・重篤化させることもなく、もっと早く自立できたのでは、との思いは相当にあるけど、今はこれから先、どうやって生き延びるかを考えねばならない。

障害年金の受給条件を書類をいっぱい読んで情報を集めて確認して、親しい人にリサーチした結果、「この条件には当てはまるぞ」と確信できたので、社労士さんへの依頼に踏み切ったわけでした。社労士さんにお願いする形になった経緯としてひと悶着あってんですが、その件は別の記事にします…。

色々あったけどひとやすみです

20歳前傷病での遡及、広汎性発達障害+双極性障害で二級だったのですが、現症分のみ支給決定という結果と、3年更新の年金証書が手元に届きました。

「払う年金もないけど貰うお金も貰ってない」状態だったので(しかも大学出てからの免除申請の年数が足りなかったので)、「20歳前傷病が通らないとそもそも貰えない」という形だったところ、一体どういう処理になったのかはよくわからないのですが、とにかく現症分は通ったっぽいです。取り敢えずムリのないペースで療養と自助努力を進める生活は続けることはできる。

昨今の事情(突然の20歳傷病の大量支給中止、東京への一元化による負荷増大など)を鑑みるに、申請がもっと早ければこんなに書類差し戻されなかった水準だと思うんですよね。診断書を5回書かされてそれでも遡及ではなく現症のみ(勝手に事後重症請求扱い?なんで?)。一回目は認定日のミスがあったんですけど、もう「わけがわからん」みたいな感じだった。ほぼ傷病で水準が決まっていて、発達障害は軽くみられがち、という事情は以前からあったようですが、どうも、双極の現症分の診断書が決め手になった(発達障害診断時の診断書はほぼ無視された)感がある。過去のほうが診断も症状も重かったんですけどー?!*4

これから

ここから書面での再審査請求、公開再審査、だめな場合は裁判といった流れですが、

過去分が通るまで粘ろうと決めました。

粘る理由としては…メンタル的にも体力的にもきついし、療養と勉強に専念したいのだけれど、身体障碍者さんや統失の皆さんだって勝ち取ってきた権利だから、蹴破ってでも勝ち取らねばなるめえの気持ちがある。発達障害の診断書を書いてくださった外来の先生、発達障害者の福祉事情に危機感を持っていらして、すごく親身になって下さったんですね。それをほとんど無視された形になっている(遡及分・現症分ともに全て二回提出となっています)、現在の審査結果はおかしいと思う。

加えて、とくに一部のお医者さんだと「精神は統合失調でないと通らない」と受け止めておられる(いろいろありました)、実際、診断基準にそのような傾向があるらしいということは今回のケースで痛感しました。とはいえ、これは、成人の発達障害者が、よくいえば大人しすぎたせいもあるんじゃないかと思ってて。軽度発達障害への障害年金の拡充の署名が行われていましたが、今回の手続きの所感として、社会保障費削減や、年金事務所への締め付けによって、「軽度でなくとも」診断が軽視される方向にシフトしているように思われます。

ドロップアウトしても戻れる仕組みが必要だと思う

ロスジェネ~就職氷河期世代の成人発達障害者の相当数がおそらく申請すら難しい状態にあるんじゃないかと思います。自分と同じで。仮に申請まで行きつけても、この長丁場に耐えられる人間がどれだけいるのか(まさに水際作戦…)。若干想定外なことに、三年更新だったので、例えば、もう一回更新が通れば、私は、当初、想定していた遡及分+現症分で、ほぼ同額を貰えるわけですけど。権利の問題って考えたらそれを良しとしちゃダメで、うやむやにして、切り捨てを許したらいけない気がする。*5

二次障害が酷くてセーフティネットからこぼれ落ちてしまった発達障害者でも、支援を受ければ働ける、あるいは、療養期間を置けば復帰できるようなケースって、少なくないと思ってて。就労支援? ほとんど機能してないよな?? 作業所勤務じゃ自立できない。まず生活! 安定した生活と療養の時間!! 厚労省が過重労働で障害者を増やしておいて水際作戦で切り捨てる現在の障害年金制度、非常にファッキンなので、どうにか是正されて欲しい。カルロス・ゴーン氏の役員報酬とか、青汁王子の脱税額とか考えたら、下々の支給額なんてなんぼのもんじゃいの気持ち。

ところで、最後の差戻で心が折れ掛けていたところ、「お役所はこっちが諦めるの待ってるんだから何が何でも粘りなさい」とアドバイス下さったお義母様がたいへん心強かったです。この言葉はこれから手続きに挑む全ての人に伝えたい。

みんながんばれ。

*1:遡及での申請で、過去のほうがスペックは重く、事後重症の申し立てはしてないので、どういう扱いになったのか謎です。何から何まで不透明

*2:余裕って大事で、最近は『時間通りに決められた場所に行く』が比較的達成可能になってきました、コケるのはキャパシティ的に無理してるとき

*3:実際、今働いてる人たちはスゴイしもっと優遇されてよいのです……

*4:本音を言うと、遡及分が通って、2年更新だったら頑張って就労可能レベルまで恢復してさっさと抜けよ、と思ってたし、まさか手続きに1年掛かるとは思わなかった……

*5:申請中、メンタル的にかなりきつかったので、それでいいじゃんの気持ちは正直やっぱりあるけど…